「ベトナムのメッシ」ことグエン コンフォンの生家とHAGL加入までの物語
来シーズンから水戸ホーリホックに所属するベトナムのメッシことグエン・コン・フオンの生家と家族や当時の暮らしぶり、ホアンアイン・ザライFCの下部組織に加入するまでのシンデレラボーイストーリーを紹介した2014年の記事
ちょっと時系列があいまいな感じなので箇条書きふうで失礼します
フオンはゲアン省 Đô Lương地区のMỹ Sơn村で生まれた。その地域は貧しい山岳コミューンであった。上記の写真が彼らの家で、この中庭で兄と一緒にボールや紙を丸めたものを蹴っていたという。石だらけの耕作地で農業するには非常に困難だった。飢餓を避けるために耕作地を放棄して住居を移さなければいけなかったが父母は様々な理由によりその土地に留まり続けた。貧しい家庭で上3人の兄姉は生活費を稼ぐためにベトナム南部へ出稼ぎへ。2000年以降家族の食事の多くは自分たちで作ったトウモロコシ、ジャガイモ、キャッサバなどだった。フオンは2歳年上の兄のkhoaと共にタウナギを取ったりして両親を助けていた。そんなある日その兄であるkhoaを水難事故で失くしショックで母は12キロも体重を落としてしまった。
唯一の心の拠り所であった兄とのボール蹴り。1週間も学校に行けずにいたコンフォンのために母は100キロのコメを売り皮のボールを買ってあげた。夢だった皮のボールだが彼は情熱を取り戻すことができなかった
18キロ離れた場所で開かれているサッカー教室に毎日自転車で送り迎えをしながら息子を支えた母ホアさん。そこでは(Lò Sông Lam=ゲアン省のクラブチーム)彼の才能は高く評価されたが身体の小ささのため選考外に。村では彼が栄養失調とのうわさが流れていた。それが原因で選ばれなかったということでホアさんは毎晩泣いたという
この時グエン・コンフォンは勉学を捨て南へ行き兄弟たちと働くことを決意。しかしこの世は元来平等なものであった。ザーライ省のクラブであるホアンアイン・ザライFCの下部組織であるHAGLスクール生の募集を知りセレクションに合格して入学することになった。このサクセスストーリーは地元の人たちの間ではまるでおとぎ話のようでもあった
家にはU19ベトナム代表のチームメイトがくれたテレビ以外価値のあるものは何も無いとのこと(これは多分2013年ぐらいの話)
アーセナルU19に3対0で勝利したベトナムU19代表。コンフオンは2ゴールの活躍。
翻訳おしまい
ちなみに日本メディアのグエン・コン・フオンの表記だけどグエン・コン・フオンなのかグエン コンフォンなのか…水戸ホーリーホック公式サイトではグエン・コン・フオンではなくて「グエン コンフォン」とオが小さいのに今気付いた。正確な発音表記ムリだけどPhượng≠フォンのような…フオンが近いと思う。正しくは日本語で横一杯『イ』の口の形をしてフオンと発音してる時にオとンの間ぐらいで腹パンチ食らってフオッ!みたいな感じだけど。なんにせよベトナムで国民的人気なのは実力だけでなく貧しい家庭環境で育ったことも関係してると思います
Cảnh nghèo của gia đình cầu thủ U19 Công Phượng - VnExpress Thể Thao
そんなこんなんで10月20日「ベトナム女性の日」にこんな写真をfacebookにアップして母親を祝福しますよね。基本的に選手のバックグラウンドに影響されて選手の好き嫌い決めることないけどこんなの応援してしまうでしょうが…
20/10, Mẹ ♥ - Nguyễn Công Phượng Jmg | Facebook
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